人生色々。【あの時死ななくて良かったという話】

人生の中で死にたいとか思った事は誰だってあるって話をします

 

ここでは人の命について管理人がエッセーを書きます。なのでそういう話が聞きたくないという人は他のページを読むようにしていただけたらありがたいです。4人の子供を持つ管理人は過去に苦しい局面を迎える事がありました。それは離婚、倒産、大病という3つです。これらは管理人にとって人生の中で経験したくて経験したものではないし、想定していなかったことです。このような事が起こった事で考えた事があります。それを共有したいと思いこのページを書いています。

 

①長年連れ添った相棒との別れ

離婚を経験しました

 

離婚率は日本では3割を超えるらしいです。国の調査報告を見ても間違いないのでそれほど多くの夫婦が日々離婚しているようですが、周囲の夫婦は仲良しに見える人ばかりに見えています。だけども家庭に入ったら全てがそうではないのが夫婦という難しさです。自分は付き合っている当初から変わっていないと思っていたり、自分は君の為にこれだけ頑張っていると思っていても相手がそれを認めているかどうか、満足しているかどうかは別ってことなんですね。

DVとか明らかに問題だというような離婚は仕方ないですが管理人の場合は長年の蓄積からくる不一致が原因でした。結果的に離婚を避ける事ができずにその日を迎えるわけですが、離婚をするというのは自分自身の心理状態を凄く悪化させます。

それと周囲、親族が関わっている夫婦生活だと周囲の身内にも影響を及ぼすので離婚したからといって即座にゲームのようにすべてがリセットされることはないです。結婚した当時の年齢でもないし、積み重ねてきたものをゼロにすることはできないからですね。

散々多くの事を積み重ねた後に、結婚契約を無くすということなので心の中に色んな思いが残ったり反省したり時に相手を憎んだり、自分を憎んだりと一人の時間が増える事もあって、心の中で自分と向き合う時間が増えます。時間が経過すると薄まるとしても離婚当初はひどく心身ともに疲れてしまいました。この時にこのまま死んでしまおうかなと考えた事があります。

ただこれは本気でそう思ったのではなく、それまで家族の中の自分という存在だったのがそうでなくなった喪失感もあったでしょう。今思えば身勝手な考えであったと感じますが当時は精神的に疲れていました。

 

②創業した会社の倒産が不可避になった瞬間

 

離婚問題は人との関りが大きく変化したものだったので心理的にきつかったですが、会社の倒産は金銭的な重圧が1年程度続き、更に尚且つ社会責任上それを法にのっとってきちんと処理するために弁護士介入、管財人介入を含めてそれらをこなす疲労で精神的に追い詰められた時期があります。離婚と倒産が重なった事で、この時に消えてしまいたいと考えた時期があります。

肉体的にストレスから複数の疾患を発症してしまい、追い詰められてしまいましたが最終的にしっかり生きて最後まで処理をして出来る事をしてから再起をかけようという逆の力を見出して踏ん張ったものです。この時に考えたのがこれ以上の人生の底はもうないだろうと考えた事が良かったです。法人倒産によって個人資産も社会的地位も失い、家庭も守れなかったとなれば、これ以上の底は中々ないから後は上がるだけだと考えられたのです。コツンと底をついたら思い切り底を蹴り上げて浮上するだけだと考えるほうが楽だったです。当時はそうしないと気力を維持できなかったというのもあるでしょう。

 

③心臓発作を起こして動けなくなった

 

会社倒産から数年が経過し、管理人にも新しい希望となる理解者が現れました。非常に警戒していたのと人に迷惑をかけるのは嫌だと過剰に考えていたために、迷惑をかけましたがそれまでの人生を肯定してくれ支えてくれる良き人が奇跡的に現れた事は感謝です。そうして平穏な時間が過ぎていました。そんな中で予想をしていなかった発作に襲われ、心臓疾患で手術という事になります。結果的にほぼ完治するに至りましたが、再発防止の為に身体健康管理をしなければならなくなったり、この時に命について初めて真剣に考えたのです。

手術では場合によってはこの時点で死亡するリスクもあったことから嫌でも最悪の事を想定しなければなりません。白い壁のベッドの上で機器のコードを貼り付けられた状態で、一人きりで真夜中に考えたのはこれからの人生についてです。それと命というのは永遠ではないのだという実感。健康寿命というのも長くはないのだという現実。

 

自分の考える人生の時間の長さを強制終了されるかもしれない時

人生は悲しい事ばかりじゃない

 

例えば自分は90歳まで生きると考えているとしたら仮に現在30歳なら残り60年ありますよね。そのように管理人も考えていました漠然と。管理人は何となく父親の現在の年齢から考えて自分は80歳~90歳まで生きるだろうと考えていました。(現在もそう考えてます)しかし心臓手術をするときに、このまま死んでしまう可能性、手術が失敗したら死ぬ可能性がこれだけという過去データを見ると、そういう予想が「勝手な妄想」だと突き付けられます。

最近はスマホを開いたらニュースがいつでも飛び込んできます。有名人が90歳で亡くなったとか、若くして亡くなったとか。同時にSNSとかでは人の命がどうとか考える機会は少なく、自分と向き合う時間すらもネットを見て暇つぶしするような時代です。

心臓疾患を抱えて命の儚さを嫌でも見せられると、無駄な時間は人生には無いかもしれないなと考えるようになりました。健康な時間というのは意外と少ないのです。誤解を恐れずに言うと自殺という行為に対して否定も肯定もしない考えを持っていましたが、現実的に自分の心臓の映像を見たり、手術を受けて痛みを経て回復して命を繋いでもらったら、絶対に自分で自分の命を消す事はしないと改めて考えました。

人の命というのは限りない奇跡だというのと、健康を維持できている事も奇跡の結晶ということなのです。心臓が止まったらそこで終了なのです。生まれ変わってどうこうしたいと思っても今の自分の状態からやり直す事はできないでしょう。少なくとも管理人の場合は、今の自分のままで大事な人との時間を共有していきたいと実感したので、残りの人生を真剣に生きようと決意をしたのです。

生まれ変わって今の自分ではない自分で、今の愛する人と別の人との人生を欲しいとは思わないからです。今の時代が好きなので今の時代をこのまま謳歌したいのです。このコラムで共有したかったのは確かに過去に死にたいと思った事はあるということ、同時にあの時に死ななくて良かったなということに尽きます。

 

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